
でも思ったんですけど、「面白い・すごい」って、ブロガーが使っちゃいけない表現なんじゃないでしょうか?
だって、映画の感想を書くにしても、「面白いよ」って書いちゃったら終わりですからね。
それ以上の感想が出てきません。
なので特にブロガーは、「面白い・すごい」って言葉を使ってはいけません。
「面白い・すごい」じゃ記事が書けないですからね。
ということで今回はブロガーは、「面白い・すごい」って言葉を使ってはいけないという話をします。

世界で多用される「面白い・すごい」
大葉せんせいも多用するんですけど、世界には「面白い・すごい」って言葉が溢れています。
特にSNSとかで、映画の感想を漁ってみると、「〇〇って映画、面白いよ!」とかツイートが沢山あります。
この「〇〇面白い」っていうツイートには、全く価値がありません。
情報量でいうと、ほとんどゼロです。
「〇〇面白い」は個人の感想でしかなくて、自分にも当てはまるかは分からないですからね。
- 面白いにも、どうだったから面白いのか?
- 逆につまらないんだったら、どんな風につまらないのか書けます。
その理由が納得できれば、自分にも当てはまる可能性が高いので、見に行くか行かないかを決める材料になるワケです。
面白いっていうのは、簡単なので、みんな面白いっていう感想で終わらせてしまうのでしょう。
「面白い・すごい」は思考の停止
大葉せんせいが思うに、「面白かった。すごかった。」っていう感想は、何にも考えていないの同じだと思っています。
- 面白かったなら、面白かった理由があるハズですし、
- スゴかったなら、スゴかった理由があるハズです。
でも感想を書くときに「面白かった」って書いてしまうと、それ以上どこが面白かったのかを考えなくなりますよね。
つまり「面白かった」は思考の停止なんじゃないかと。
エッセイには、面白いは出てこない
大葉せんせいが読んでいて「読んで良かったな。勉強になったな。」と思う文章には、「面白い・すごい」という言葉を使っていないように思います。
例えば文筆家の書くエッセイだと、ほとんど「面白い・すごい」って言葉は出てきません。
なんでかっていうと、「このドラマが面白かった」とかいうだけの文章を別に読みたくないですよね。
もし、映画の感想を読むとしら、もっと内容のあるものを読みたいと思うハズです。
中身のある文章というと、「このドラマは、こういう所に注目してみると、世の中の情勢をよく汲み取れて、時代性をよく表している」とか。
エッセイでは、ただ「面白い」って書くんじゃなくて、「どこの部分をどう感じたか」っていう風に書いてあるハズです。
「面白い」という言葉を自分なりの文章で表現しているんですね。
面白い文章には、こういう考え方が重要になってきます。
小説では、ありふれた文章は禁止
例えば、小説家でもあるジャニーズの加藤シゲアキは、小説では四字熟語はご法度だと言っていました。
というのも、四字熟語は昔から使われている言葉なので、ありきたりな表現になってしまうのだそう。
四面楚歌っていうよりも、「チョコが熱々アイロンに囲まれた」とか言い換えたほうが独自の文章が書けて、興味をひく文章になるということ。
「面白い」っていう感想は、ありふれているので、興味をひく文章ではないんですよね。
ありふれた言葉で書かないという考え方は、ブログにも応用できます。
【まとめ】特にブロガーは、面白いで終わらせると何も生まれない
ブロガーが、映画の感想をブログに書くときに、面白かったって書いてしまうと、1行で終わってしまいます。
でも面白いという言葉を使わずに、「ここがこうなっているので、つまりあの話は、〇〇のメタファーというところが見どころ」って書くとブログの記事になりますよね。
桃太郎で考えてみると「桃太郎とは、天皇家のメタファーで、鬼は外国人という説もある」とか書くと考察っぽくなって、読みがいのある記事になります。
なのでブロガーは、「面白い」「すごい」という言葉を使わない方がいいんです。
「面白い」「すごい」だったら、小学生でも書けますからね…

大葉せんせいも、今までは「面白い」「すごい」という言葉を多用していたのですが、今後は禁止して書いていこうと思います。(時と場合によります!笑)
語彙力増えろ!
それでは、大葉せんせいでした。