
大葉せんせいは、初期ポケモン世代ということもあって、映画『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』は結構楽しめました。
ただ、うーんと思うところもあって…
ポケモンって、本当に映画は下手だなーと。
あと少し違っていたら、大傑作になっていたと思いました。
なので、今回は映画『ミュウツーの逆襲EVOLUTION』をこう観たら面白く観れるよという話と、大傑作になるにあたって足りなかった部分の話をします。
観に行くべきかどうかでいうと、時間があったら行くべきくらいの作品です。

映画『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』の楽しみ方とは
ミュウツーの逆襲は、どうやってテーマの映画なのかというと「私という存在について」の映画です。
うんうん「ミュウツーがアイデンティティを確立する映画でしょ」と思った方。ミュウツーの逆襲はもうちょっと深い。
実は、ミュウツーの逆襲は、仏教思想を元に作られた映画。解説していきますね。
ミュウツーの仏教思想
実はミュウツーの思想は、仏教が元になっています。
劇中でミュウツーが観客を見て言う印象的なセリフがある。
「私は、私を生んだ全てを憎む。」
どういう意味かというと「こんな苦しい世界に生まれて来たくなかったのに、なぜ生み出したのか?」というとこと。
たしかに、この世界は不条理な苦しみに満ちています。
例えば仏教では、生きることを苦しいことだとして、その苦しみを四苦八苦という言葉で説明しています。
生きる、老い、死、病……これが四苦ですね。
あと苦しいことが4つプラスされて、八苦になります。
そんな仏教が何を目指しているのかというと、その苦しみから解放されること=解脱です。
ミュウツーの解脱(悟り)
ミュウツーは、どう解脱(生きることの苦しみから解放されること)したら良いのか分からずに、人間への逆襲を行うことで、解脱しようとしていました。
しかしサトシと出会い、自分の存在を認めることになります。
ミュウツーのセリフで「私たちは既に存在している」というものがありました。
このセリフを仏教的に考えてると
「私たちが存在していると考える意識を認識できる」という意味で、ブッダのいう悟りの教義と一致するのです。
カスミの「いるからいるのよ」というセリフがありました。これも「私という存在を認識するものがある」という意味で、これもブッタの悟りの思想。
まあ、何が言いたいのかというと、ミュウツーの逆襲は、仏教思想も元にして作られた「私という存在についての映画」だってこと!
簡単に言うと「私という存在について知るには、相手がどうこうというより、自分を客観的に観ることが重要だよね」ってことです。
ミュウvsミュウツーは、キリスト教vs仏教
ミュウツーの思想が仏教的なものという話をして来ました。
それに対して、ミュウは、キリスト教の化身でもあります。
ミュウとは、全てのポケモンの始祖。
つまりポケモンのアダムとイブなのです。
クライマックスで、ミュウvsミュウツーが描かれていましたが、あれは単純なポケモンバトルではなくて、西洋宗教と東洋宗教の対決でもありました。
宗教とは、昔から、自分たち以外の宗教と対決するもの。相手の宗教を駆逐することで、自分たちの教義を広めていく性質があるのです。
その宗教構造の対立と思って映画も観ると、なかなか面白いですよ!
CGでしかできない演出が面白い。
今回の映画は、ポケモン映画初のフルCG作品ということもあって、3Dアニメならではの演出が多くて、新鮮でした。
例えば、カメラワーク。
今作では、奥に進みながら撮影する、ドリーという技術多用されていました。
それに対して、2Dアニメではあまり使われません。
というのも2Dアニメはカメラという概念が無くて、カットで管理されているから。左右の動きがメインになります。
しかし3Dアニメは、奥行きもあるので、カメラを前に進ませるようなこともできるのです。
やっぱり演出が新鮮だと、飽きずに観れますね。
『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』の問題点
映画『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』は、それなりに楽しめる映画ですが、問題点が多くありました笑。
その問題点を紹介していきます。

CGのモデリングとテクスチャーが酷い
CGはとにかく酷かったです。
なんでポケモンの映画でこんなレベルだったんだろうって、不思議になるくらいでした。
はっきり言って、物によってはPS1レベルのCGでした。
タケシが煮込んでいる鍋なんて、テクスチャー無しですからね。
CGって、リアルにするために、ブロックで形を作ってから、その周りに質感を再現する写真を貼り付けるんですけど、それが貼られないっていう。
本当に酷かったですね。
しかし、観ていて、違和感があったんですけど、炎・水のエフェクトだけものすごく綺麗でした。
たぶん市販のエフェクトを購入したのだろうなーと。
CGの出来については、ゲーム会社と協力して、モデリングだけでもして貰えば良いのにって、出来でしたねー。
ミュウツーの行動の矛盾
ミュウツーの行動にも矛盾がありました。
ミュウツーがサカキの申し入れを受け入れて、アーマードミュウツーになるシーン。
サカキ「このままでは世界を滅ぼしてしまう。制御しなければ…」
というシーンでミュウツーは、世界を滅ぼさないために制御を受け入れます。つまりミュウツーは、制御を受け入れるだけの理性があるということになります。
しかし次のシーンでは、ケンタロスを乱獲しているんですから、理性どこいった?って感じですね。
結末を奇跡にしてしまった
ラストの方のシーンで、サトシが鉄になってしまったシーン。
サトシは、ポケモンたちの涙で元に戻ります。
なんで、ポケモンの涙がサトシに集まったのかというと奇跡が起きたから。
大葉せんせい的には、元に戻るシーンが唐突に感じました。
こういった奇跡の展開をやってしまうと、なんでもやっていいことになりますよね。
どんな展開でも「奇跡が起きた!」で解決出来てしまいます。
奇跡を起こす展開のときは、唐突な奇跡にならないように細心の注意を払う必要があるのですが、ポケモンは唐突な奇跡になっていました。
【まとめ】映画『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』は深い
映画『ミュウツーの逆襲 EVOLUTION』が仏教思想によって「私という存在を明らかにする」映画だということを語ってきました。
この映画のテーマは「アイデンティティが何か」というレベルじゃないんですよね。
この映画のすごいところは「アイデンティティを認識した上で、この世の苦しみから解脱する」という悟りまで描いているところ。
ここまでテーマ性の強い映画はなかなかありません。
しかし残念なのが、今回の映画が子供だましだってこと。
たしかに楽しめる作品ではありますが、絶対に観るべき作品ではありません。時間があったら観に行ってみたら良いと思いました。
それでは大葉せんせいでした。
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