
大葉せんせいが、高校生時代に困っていた校則がありました…
それが、髪型の校則。
もちろん茶髪はダメでしたし、パーマもダメでした。
そして、横の髪が耳にかかるのもダメだったので、大葉せんせいは毎回頭髪検査に引っかかっていましたね。
トイレで友達に散髪してもらったこともあります…笑
当時から意味の分からなかった頭髪の校則なんですけど、いまだに髪型が校則で規定されている学校も多いのだそう。
意味のない校則が、なんで全国の学校で採用されているんでしょうか?
疑問に思ったので、その理由を考えてみます。
いろんな学校に残っている髪型ルール
ネットニュースでこんなものを見つけました。
県立高校の髪型ルールに「細かい」の声 「サイドを短くする」「横髪が出ている」は校則違反
某県立高校生からもらった画像。
ルールが細かい!!!
この画像のような髪型にしたら風紀が乱れるのか?秩序は守れないのか?
どれも高校生らしくていいと思うけどな。 pic.twitter.com/64KCpECu3i
— 合法先生 (@barbeejill3) 2019年4月24日
これによれば、ある県立高校では髪型の規定があって、それがものすごく厳しいという話でした。
それによれば、男はソフトモヒカンもダメ。耳の周りの髪の毛をくり抜かなければいけないそう。
別にソフトモヒカンで、嫌な印象を持ったことはないですし、現代のほとんどの人の髪が耳にかかっていると思います。

例えば、髪が耳にかかってはダメとか…
意味がわかりませんよね。
外見って、人が個性を出すのに重要な部分だと思っています。
その個性を出せる重要な部分を取り去ってしまうのは、個性を伸ばせと言われている現代の学生にとってマイナスなんじゃないでしょうか?
こういった均一な行動を取らせているからこそ、日本人という没個性な集団が生まれてしまったんじゃないかと思っています。
それはさておき、じゃあ日本の学校は、こんなに無駄とも思える髪型の校則を続けているんでしょうか?
その理由を考えてみようと思います!
80年代・ヤンキーブーム説
こんな意味の分からない髪型の校則が残っている理由の1つ目の説が、ヤンキーブーム説。
日本には1980年代に、『ビーバップハイスクール』などのを代表とした、ヤンキー映画のブームというのがありました。
80年代に映画界でヤンキーが流行ると、何が起こったかというと、全国に実際にヤンキーと言われる不良が大量発生しました。
このヤンキーたちは、タチの悪いことに、完全にドロップアウトしたわけではなくて、学校に所属していたんですよね。
つまり学校の制服を着て、外で悪さをしていました。

これもビーバップハイヒールを思い出してみると分かると思います。
そうすると、ヤンキーは制服を着ているので、学校がバレて、学校の評判が下がってしまうという現象がありました。
なので学校側は、ヤンキー自体を禁止したかったんですよね。
でも校則に「ヤンキー禁止!」なんて書いても意味がわかりません。
じゃあどうしたか、ヤンキーの特徴であった派手な髪型を禁止したんです。
「ワックス禁止・パーマ禁止・リーゼント禁止」
この髪型の規定で、ヤンキーがいなくなったのかは分かりませんが、とにかくヤンキーを別の罪状で取り締まりたかった学校が作ったのが、この厳しい髪型の校則なのです。
そうして1980年代にできた厳しい髪型の校則が現代にも無くならずに、ずっとあり続けているのが現代の校則なのです。
これがヤンキー説です。

学校教育は、そもそも均一な人間を作る目的がある説
2つ目の説は、日本の教育機関は、均一な人材を作り出すことを目的としているからという説。
日本の教育機関は、均一な人材を作成するところなので、髪型についても均一になるように規定しているのです。
明治政府が国策として取り組んだ学校教育の目的は、多様な人間を「教育」というフレームワークに当てはめることで、考え方や価値観を均一化させることだと考えられる。
そして、現在の教育機関もその流れの延長にある。
堀江貴文氏も著書『すべての教育は洗脳である』で同じことを書いています。
なんで均一な存在を作り出そうとしたのかというと、均一な存在というのは、経済的に効率がものすごくいいから。
どういうことかというと、均一な存在とは、つまり同じ価値観を持っているということ。
同じ価値観を持っているというのは、同じものを欲しがるということになります。
なので日本の主要産業の製造業からすると、同じものを大量に作って、売ればいいわけです。
これが高度経済成長の基本的な考え方になります。
という経済的メリットもあって、明治期の人は、日本国民の均一化という選択肢をとったのでしょう。
そうやって、均一な存在を作り上げるためにはどうしたらいいでしょうか?
それは日本の学校教育がやってきたことですね。
数十人の生徒を集めて、クラスという単位で勉強させる。
授業の内容も同じになるように、教育指導要領に定められたやり方。
見た目も校則で規定して、個性を出さないように…
ということで、国民均一化政策の一環として、髪型が校則で規定されたということです。
これが2つ目の説になります!

近隣住民に対するアピール説(メラビアンの法則説)
3つ目の説が、近隣住民に対するアピールです。
学校の近隣住民は、制服でどこの学校の生徒だか、だいたい分かりますよね。
学校の近隣住民は、いうまでもなく、いろんな人間がいます。
どこの学校の周りでも、高齢化社会の現在、お年寄りが比率的に多いという状況でしょう。
2つ目の説の明治期の国民均一化政策の話をしましたが、お年寄りは国民均一化政策世代と言えるとでしょう。
つまりお年寄りは、女の子ならオカッパ、男の子なら丸坊主という考え方を持っている世代になります。
そういうお年寄り世代は、髪型で人の良し悪しを判断する人も多いというのが、現実でしょう。
そして、人間は人の印象を数秒の外見で決めるという心理学的な事実があります。
メラビアンという心理学者が明らかにした内容によると、人間はものごとを判断するとき、情報を取り入れる比率が、優先順で視覚情報・聴覚情報・言語情報の順番になるといいます。
詳しい比率にすると、55%・38%・7%なんだそうです。
つまり人間は制服を着た学校の生徒を判断するときに、1番の手がかりにするのは、見た目ということになります。
そして、人間は相手の第1印象を数秒で決めるという心理学の実験もあります。
実は第1印象で感じた印象は、半年ほど継続します。
お年寄りが、学校の周りで奇抜な髪型の生徒を見かけると、どう思うのかというと
- お年寄りは、奇抜な髪型の生徒を目撃したとします。
- そうすると、その生徒の制服から学校がわかるので、あの学校の生徒はどうかしていると考えます。
- この印象が半年は、継続されるということ。
例えば、新聞でその学校の良いところが記事になっていても、言語情報を判断材料にする比率は7%
なので、第1印象は、変わらないでしょう。
つまり学校の宣伝戦略としては、髪型を真面目な風にするというのは、効果があるのです…
これが3つ目の説、近隣住民へのアピール説です

まとめ、意味のないルール押し付けるの辞めてくれ!
校則で髪型が規定されている理由を3つ考えてみました。
たぶん3つのうちどれかが正解ということはなく、3つとも正解なんだと思います。
3つの要因がうまくあわさった結果、謎の校則が生まれてしまって、現代でも続いてしまっているんでしょう。
でもさすがに、同じ髪型じゃないといけないっていうのは、没個性すぎると思うんですよね。
これからの時代は、個性を出していかないと思います。

仕事でも、AIの時代なので、人間らしいクリエイティビティを発揮しろと言われていますよね。
なので、校則で髪型を規定しているところは早く辞めた方がいいですよ。
時代遅れなのです。もし、いやそれは違うと思った人は、自分が時代遅れの考え方をしているかもしれないと、1度考えてみてください。
それでは、大葉せんせいでした。