大葉せんせいが小さいときから疑問に思っていたのが、浦島太郎のお話。
浦島太郎には、ざっとこれだけ疑問点がある。
- 竜宮城と乙姫とはなんだったのか?
- なぜ玉手箱は渡されたのか?
- 浦島太郎の教訓とは?
細かくいうと、
「鯛やヒラメの踊りって、そんなに見てられるか?」
「御馳走って、魚?肉? 踊ってる鯛やヒラメの前で魚は食べれないし、肉ってどこから調達してんの?」みたいな疑問も湧いてきますが、それは置いておくとします。
これらの問題を考えて続けてきて、答えみたいなものが分かったので解説していきます。
浦島太郎の物語が生まれた理由
童話には、基本的に教訓が含まれます。
例えば『アリとキリギリス』だったら、「怠けていると、いざというときに大変な目にあうんだぞ」っていう感じですね。
それで多くの人が浦島太郎の謎めいた話にも教訓があるんじゃないかと探しました。
しかし浦島太郎って、本当に謎な展開で誰もこれだっていう教訓を見つけられていません。
というのも大葉せんせいが考えるに、浦島太郎は教訓を秘めた物語ではないんじゃないかと思っています。
むしろ現象を説明するためのお話なんじゃないかと。
浦島太郎の物語を村人から見てみると、浦島太郎という人が突然いなくなって、ある日帰ってきたという事件になります。
これっていわゆる「神隠し」ですよね。
昔は、「神隠し」という現象があって、それを説明するために作られたお話が浦島太郎なんじゃないかと。
現象を説明する話って、人類の文化には沢山あって、例えば「雷は、神様がハンマーを振り回すと出てくるんだ」とか。
現象を説明する話を一般的に神話と呼びます。
浦島太郎を神話だと考えると、全て理解できるんですよね。
つまり浦島太郎の物語は、時間をすっ飛ばせる物語ならなんでも良かったということです。
時間をすっ飛ばすには、異世界に行くのが一番説明が必要なくて楽ですよね。それが竜宮城。
で、異世界にいる時点で老いが始まってしまうと、浦島が「こりゃあいかん、帰る帰る」となってしまうので、元の世界に戻ったときに突然歳を取ることにしたかった。それが玉手箱のシステムなのです。
で、玉手箱がなぜ「絶対に開けてはいけませんよ」と言われているのかというと、「神隠し」には2パターンあるからじゃないかと。
それが戻ってきた人が歳をとっているパターンと全く歳をとっていないパターン。
浦島太郎が玉手箱を開けないIFを作ることで、神隠しに2パターンある理由を説明したんだろうなーと。
ストーリーの辻褄を合わせてみた
浦島太郎のストーリー的に辻褄を合わせるもう一つの策を考えてみました。
「乙姫は、宇宙人で地球の発展を管理する職についている。浦島太郎は、普通に生活していたら、地球史を大きく動かすような事件を起こす(タイムトラベルの発明とか)。
なので乙姫は、浦島太郎を飛びつけて時間をすっ飛ばすことで、事件を無かったことにした。」
亀は宇宙船、竜宮城は母艦、鯛やヒラメは魚っぽい宇宙人。
疑問が残るのは、だったら「最初から歩いてる浦島太郎に玉手箱の煙を喰らわせればいいんじゃないのってこと」
これはたぶん浦島太郎の家族や知り合いが、浦島太郎の起こす事件に大きく関与するからじゃないかと。
ということで、浦島太郎だけ歳を取らせてもダメで、浦島太郎とその時代の人を完全に切り離す必要があったのです。
お年寄り浦島太郎は、老いた段階から人脈を作り、事件を起こすには寿命的無理だったので、お年寄りの状態で知り合いのいない時代に放置されたんじゃないかなーと。
という感じでどうでしょうか。
【まとめ】浦島太郎は難しい
浦島太郎について、ものすごく考え抜いて出した結論がこれ。
「浦島太郎に教訓なんてない!」
ちょっと反則感もありますが、これしかないんです。
正直、今回考察した「浦島太郎=神話説」が正解なんだろうなーという自信もあります。
それ以外だと、どうしても矛盾が生まれてしまうんですよね。
大葉せんせいが今回考察した教訓はこれらです。
- 人助けをすると良いことがある→戻ったら知り合いがいなくなっているという点でオカシイ
- 困っている人は助けてはいけない→亀を助けるときに、浦島太郎がボコボコにされれば済む話
- メリットには、デメリットもついてくる→デメリットが大きすぎないか?
- 欲望に溺れてはいけない(楽しいことにかまけてはいけない)→お礼を受け取らないのも失礼
という感じで、どこか教訓にも矛盾が生まれてしまいます。
さらにストーリー的な辻褄も合わせようと頑張ってみたのですが、ムリでした…
- 竜宮城=宇宙説→乙姫の意図が分からない
- 玉手箱は渡さなければいけない竜宮城のルールがあった→じゃあ最初から竜宮城に招くな
- 人間性を試すために、玉手箱を渡した→亀を助けた恩人を今さら試すな
という思考を経て結論に至りました。
結論を繰り返しますが、浦島太郎という物語は、神隠しという現象を説明するための神話。
神話だから、教訓とか、理由とかはない。
昔の人が神隠しを説明するってなったら、これくらいのアクロバティックな展開になるんでしょう。